侍ナース!!

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敬礼の意味

最近多忙に継ぐ多忙で、すっかりブログとも疎遠になっていました。




どれだけの方が気にかけてくださっているのかはよくわかりませんが、
あくまでも「時間に余裕があれば」更新していく予定です。

今後もよろしくお願いします。







超多忙な中、新人さんと高齢患者さんとのやり取りを見ていて

ぼんやりと思い出す事がありました。













俺は看護学生(補助業務)から准看の2年間、そして正看取得後の3年間は一般病棟に勤務していました。


内科病棟に外科病棟、そして何でもありの混合病棟とそれなりに回ってきました。



そこではやはり高齢者が圧倒的に多く、じいちゃんばあちゃんと暮らしたことのない核家族の俺は毎日が新鮮でした。



特にいろんな方から聞く昔話が新鮮で最高でした。


昔の価値観や戦時中のこと、今では聞いたことのない方言など、すべてが古き良き時代とは思いませんが、

高齢者が語るセピア色の風景は、不思議と心地よい話ばかりで、仕事そっちのけでいつもしゃべってました。








そんな中、とある患者さんがいました。

准看、正看どっちの出来事だったのかも覚えていません。





もう名前も年齢も忘れてしまいました。

おじいさんで、肺がんだったことだけはよく覚えています。


末期でした。





そして延命治療はしない、という方針でした。

痛みはできるだけ取る、後は見守るのみ、という状況でした。






その時、僕たちは隠語でこんな言葉を使っていました。






100歳だろうがなんだろうが、

とにかくありとあらゆる治療を行い、何としても「生きている」という状況にするぞ!という治療方針のことを「フルコース」と呼んでいました。

そこには「生きたい」という患者さんの思いよりも、

「生きていて欲しい」という患者さん以外の思いが強く反映されていることが大いにあります。




「積極的な治療は望まない」という治療方針の場合は、

隠語も何もなく、「フルコースじゃない」と言っていました。

ですので、この患者さんは「フルコースじゃない」患者さんでした。







本当に詳細は覚えておらず、どのような処方をされていたのかすら覚えていません。

とにかく覚えていることは、患者さんが苦しんでい姿だけです。

そして、あるワンシーンだけが強烈に焼き付いています。








その患者さんの部屋のナースコールが頻繁に鳴ります。





これ以上の投薬もできず、付き添う家族もおらず、これ以上の治療はできないという中で、

ただ起座位(前かがみに座る)の姿勢でゼイゼイと苦しそうな息をしているという数日でした。

この患者さんがナースコールを押し、看護師に望むことはただ1つ。







「背中をさすってくれ」








これだけでした。





ただ、コレが長い。

ひたすらにさすり続ける。

駆けつけるとひたすらにさする。

さすり続けなくてはいけない。





ずいぶんとさすると「ありがと」と片手を上げ、止める合図をくれます。

最初はみんな長い時間さすっていました。









しかし。

だんだん、ナースコールをとらなくなっていきました。

取らないと言うよりも、みんな待つんです。








「誰かが取ってくれ」って。








苦しんでいてかわいそうな姿を見たくないのもあります。







しかし、だんだん本心は

「さする間は記録も書けない、他の患者のところにも行けない、帰るのが遅くなる」

という、どうしようもない本音が看護観やプロ意識を支配してしまいます。








看護師だって家庭があり、日常が待っているのです。


そう簡単に天使になんかなれないのです。









その頃の病棟には(病院全体でも)男性看護師は俺しかいませんでした。


みんな「男同士やん、行ったげて!」


と、俺に押し付けます。







妙な関連性を言われて、一番の下っ端だった俺はおのずと出番が多くなりました。

いつも、内心「またさするんか・・・」と思って部屋へ向かいました。






軽くノックし扉を開けます。

やっぱりゼイゼイと苦しそうに肩で息をして座っています。

多量の酸素がシューっと大きな音を出して流れているのに、まるで溺れているかのような表情でした。

軽く手を上げ、背中を指さします。

しんどくてしゃべれないのです。







「はいよっ!」

なるべく元気よく返事し、当たり前のように背中をさすり始めます。

そうでもしないと、こちらが滅入りそうで怖い気持ちだったことを覚えています。






ひたすらに、ただひたすらに背中をさすります。

病衣に手のひらがこすれて、妙な感触です。

ただ、ひたすらにさすります。

見た目に楽そうになる様子はありませんでした。

そんな姿を見て、俺は臆病な気持ちが芽生えて声もかけれません。









だんだん、自分の中で押えきれない感情が湧き出てきます。

「死んだ方が楽だろうに・・・」








まるで聞こえたかのように

「・・・・・死にたいなぁ」

酸素マスクでくぐもった声で聞こえてきました。







「あきませんよ!弱音はいたら!!」

そう言いながら

悟られないように、より力を入れて背中をさすりました。







けど俺は声を聞いて、より確信めいた気分になりました。

「きっと本心だろう。死にたいだろう。楽になりたいだろう・・・」








それからは会話もなく、ただたださする。







いつものように「もういい」と言う合図で軽く片手を上げたので、

「・・・はい。おしまい。」

と、軽く背中をポンとたたき

「また呼んでくださいね」

と、決まりきった台詞を言ってドアノブを持ったとき、









「・・・にいちゃん」







「?」








振り返ると、患者さんが俺に向けて敬礼していました。







とっさに俺も敬礼しました。


いままで起座位だったのに、背筋のばしてキリッとした表情して敬礼していました。


その時は「凄み」を感じました。


誰がなんと言おうと、「軍人」の顔でした。


改めて俺もビシッと敬礼し、部屋を出ました。









それから数日後に死亡退院されました。









たったそれだけの出来事です。

けど、俺は生まれて初めて敬礼したのがあの場面でした。

そしてそれ以来、高齢者に対して考え方が完全に変わり出しました。










俺は以前にも書きましたが、なりゆきで看護師になった人間です。

大した看護観もありません。





学校や職場では、

「人間対人間という職業・・・」

「弱った患者さんに対し優しさを・・・」

「ふれあいを大切に・・・」

などという耳障りの良い言葉でやり過ごしていました。





別にそれが正解とも不正解とも思いません。





ただ。

自分の言葉ではないことは確かだと、気づきました。






この事以来、俺は素直に戦前・戦中・戦後の歴史の無知さを知りました。

単に敬礼されただけでしたが、恥じました。






患者とは、

「単純に病に犯された人間」

としてしか対応していませんでした。








しかし、

戦争という、最悪の時代が否が応にでも巻き込んでしまったもとに生きた人達が今の高齢者なんだ、と初めて気づきました。







そんな俺ごときが「死んだ方が楽」などと考えて背中をさすっていたんです。


最悪です。


さぞ、俺の敬礼は陳腐な姿だったろうか、と逃げたくなります。


そして、今は感謝しています。








別に戦争責任などこの場合に関係ありません。

 


ほんの70年前に日本が戦争していた事を詳しく知らない、知ろうとしない俺たちの時代の人間が、

「激動の日本を生き抜いた人」はそれだけで十分に尊敬に値する人物だ、

と考えたことがなかったことがとてつもなく恥ずかしたったのです。





いわゆる日教組教育を受けた俺としては、

全体的に今どきの看護師が高齢者に対する発想に「尊敬」という感情は「薄い」と考えています。

それは、高齢者を尊敬するような歴史教育を学んでいないから。





自分自信が戦争賛成だろうが反対だろうが

高齢者に対して尊敬する部分を学んでいれば

タメ口や悪ふざけや偉そうな振る舞いはできません。





ましてや自分の存在意義のために

インスリン大量投与したり、爪をはいだり、暴力を振るったり簡単にはできないはずです。







どんなに看護学校で高齢者看護を勉強したって、

俺は近現代史を学ばなければ意味が無いと思います。








戦争を経験してるから尊敬できる、と言いたいのではありません。

望んでもいないのに時代という「うねり」によって強制的に経験させられたからこそ

今という時代に生きている俺たちが高齢者に対し一定の感謝と尊敬の気持ちを持って看護すべきではないか?と思うのです。








このような事を考えてから、思うんです。

今の高齢者に対して俺たちはこのような気持ちで扱いしているのです。

俺たちが高齢者になったとき、その時の看護師にはどう思われ看護されるのでしょうか。




・・・その時は、人間じゃなくてロボットだったりして。








ちょっと、疲れてるんでしょうかね。いつもとはちょっと違う内容になってしまいました。

それに偏った内容にもなっちゃいましたね。

・・・ま、それは、いつもか。

とにかく、

「心の看護」って、一体何なんでしょうかね?

日々精進するしかないッス。




  







↓忙しい時に限って、ふと昔話に浸るものですね
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↓戦時中の話を聞けるのは俺たちが最後かもしれない。

高齢者の人権―看護・介護からの接近

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