侍ナース!!

アラフォー男性看護師長が、偏見に満ち溢れた極論で看護の世界を斬る!→ サイトリニューアルしたぜ!その名も「プロジェクトナース 史上最大の口撃」!

サイトリニューアル! 「プロジェクトナース 史上最大の口撃」 https://www.project-nurse.com/

君が語れ

せっかく休日の時間ができても、何かを成し遂げる根性が芽生えて来ず、
しかし、何もしない休日ほど、つよく後悔に苛まれる。
そんな週末を過ごす「侍ナース」です。
いかがお過ごしですか?




さて、前回の続きです。





「雇用先(病院・看護部)の努力が圧倒的に足りない・発想が遅れてる」
という部分で、なんだかんだと述べましたが、
要約すれば
「金で買える・変える部分」を挙げてみました。




今回は「金では買えない」、すなわち、「発想」の部分の話をしてみます。




看護学生の時にやたら書かされ、語ることを求められることがありました。
それは「看護観」。


まぁ、何かにつけて「看護観」を聞かれる、書かされる。


学生の俺は、いつも困っていました。
だって、特にないもの。
いやいや、お恥ずかしながらそうなんです・



看護師は「崇高なお仕事」であるべきだとも思うし、
「ピュアな動機付け」で目指すことが望まれる職種だとも思います。




しかし、俺の場合は、完全に「コトの流れ」で看護士を選んでしまい、
あれよあれよと言う間に
「面白い世界だな」
という好奇心だけで突き動かされたタイプなので、
これと言ったエピソードは存在しません。





家族に医療従事者がいるわけでもなく、
入院したこともなければ、看護師という仕事にふれたわけでもなく、
じいちゃんばあちゃんと暮らしてたわけでもなく、
幼い頃から憧れたわけでもなく、
誰かに勧められたわけでもなく、
ほんとうにただただ「なんとなくの好奇心」だっただけなのです。




一応、なんとなく取り繕って書いてました。
「なんとなく入った看護の世界は、とてつもなく奥が深く、これから自分なりの看護観をみつけたい・・・」
とか、それこそ適当に。



そもそも、学生時代に書く「看護観」というのは、
「看護士を目指した動機」
が内容の半分であって、臨床に出てもいないのに「看護観」が書けるはずがない。
では、その半分は何に当たるのかといえば
「夢」
だと思う。




「こんな看護師になりたい」
「こんなふうに接したい」
「こんな言葉かけをしたい」
「こんな臨床で働きたい」





で、いざ、資格を取得し臨床に出れば、
ラダーだの、教育委員会だのと、バカみたいに教えたがる。
で、そこで何年目ごとに確認しあうのが、
またまた「看護観」。





要は、自分が夢見ていた内容と、現在の自分との答え合わせ。
「あの日の自分に誇れるのか?」





俺は「看護観」は常に更新されていくものだと思う。
根底にあるものは変わらないだろうけど、
私(ワタクシ)という何かを揺さぶられる出来事が起きてしまうと、「看護観」なんてガラリと変わるものだと思う。
そして、揺さぶられる出来事と遭遇できるのが、この「看護師」という仕事なのだと思う。




だから「看護観」を持つのは良いことだし、
「看護師」として働く以上「看護観」は、必ず養われるものなのだと信じている。
それに、あの日自分が描いていた自分と、現在の自分が違っても、それはそれでいいだろう。
そういうもんさ。




しかも、臨床では様々な看護師が働く。
看護師の数だけ、様々な看護観があるはずだ。

それに、正解も不正解もないだろう。





しかし、だ。





そこで働く看護師を束ねている看護師長の看護観を聞いたことのある奴はいるのか?



どんな「看護観」をもった人間が「看護師」を束ねているのか、気にならないのかな?





教育係だの、プリセプターだのは、何年目かに書く様々な「看護観」を読む機会があるだろう。
場合によっては、それを発表する病院もあるだろう。
だけど、そこのトップがどんな「看護観」で病棟・病院をまとめているのか知っているのかな?
師長が、どんな動機で「看護師」になり、どんな「看護観」をもっていたのか、または、もっているのか。
どうしてそれを自らが発表しようとしないのか?
自分よりも若い人間には、必要性があるから看護観を語らせているのであれば、
なぜ師長になれば、語る必要がないのか?



逆だろ?
師長だからこそ、自分はこういう看護観なんだよ、ということを伝えるべきだろ?




患者との関わりのみから導き出されるものが「看護観」じゃないだろう。
看護師を束ねる立場だからこそ、
どのようにして看護師に働きやすい環境を作り出し、
より質の高い看護を提供させるためにはどうすればいいのかを考える、
それだって立派な「看護観」だ。





俺は、毎年でも師長レベル以上は看護観を語るべきだと思う。
新人に・中堅に・コメディカルに・医者に向けて。




であれば、自分の看護観とは合わないない上司ならば、共に仕事ができないことくらいスグにわかるだろう。
逆に、もし師長と少々のイザコザやトラブルがあっても、看護観に共鳴できるのあれば、我慢できるだろう。





「こんな看護観をもっている師長となら働いてみたい」




そう思わせる努力をしているのかな?




ババァ共よ、医者の悪口よりも、壮大に夢を語れ!!










医者が「医療観」を語る?
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